このページでは古今著聞集【老僧の水練】の現代語訳(口語訳)を載せていますが、学校で習う現代語訳と異なる場合がありますので、参考程度に見てください。
『老僧の水練』が1分で分かるあらすじ
山僧と児たちが竹生島へ参拝した時のこと、児は遊泳を得意とする僧を見たいと希望したが、それを行う若い僧たちはあいにく留守であった。
諦めて帰路についたころ、一人の老僧が海面を歩いて詫びにやってきた。一同は目を見張って驚いたことであった。
原文と現代語訳(口語訳)
いづれの頃のことにか、山僧あまた伴ひて、児など具して竹生島へ参りたりけり。
いつの頃のことであっただろうか、山僧が大勢連れだって、児などをともにして、竹生島へ参拝していた。
巡礼果てて、今は帰りなむとしける時、児ども言ふやう、
島内の寺社を巡って参拝し終えて、今はもう帰ってしまおうとした時、児たちが言うことには、
「この島の僧たちは、水練を業として、おもしろきことにて侍るなる、いかがして見るべき。」
「この島の僧たちは、遊泳の術を得意として、興味深いことと聞いてございます。どのようにして見る(はずの)ものであろうか。」
と言ひければ、住僧の中へ使ひを遣りて、「小人たちの所望、かく候ふ。いかが候ふべき。」
と言ったので、寺に住んでいる僧の方へ使者を送って、「児たちの希望は、こうです。どうでしょう。」
と言ひ遣りたりければ、住僧の返事に、「いとやすきことにて候ふを、さようのこと仕うまつる若者、ただ今、皆違ひ候ひて、一人も候はず。返す返す口惜しきことなり。」
と言伝をつかわしたところ、寺に住んでいる僧の返事には、「たいそう容易なことでございますが、そのようなことをいたします若い僧は、ちょうど今、皆入れ違いに出かけていまして、一人もおりません。重ねがさね残念なことである。」
と言ひたりければ、力及ばで、おのおの帰りけり。
と言ってあったので、どうすることもできなくて、それぞれ帰ることとなった。
舟に乗りて、二、三町ばかり漕ぎ出てたりけるほどに、張衣のあざやかなるに、長絹の五条の袈裟のひた新しき懸けたる老僧、七十あまりもやあるらむと見ゆる、
舟に乗って、二、三町ほど漕ぎ出していたときに、張衣で目立って美しいものの上に、長絹の五条の袈裟で真新しいものを懸けている七十歳過ぎでもあるだろうかと見える人が、
一人、脛をかき上げて、海の面をさし歩みて来たるあり。
一人、僧衣の裾をスネのところまで引っ張りあげて、海面を歩いて来ている者がいる。
舟をとどめて、不思議のことかなと、目をすまして見居たるところに、近く歩み寄りて言ふやう、
舟をとめて、常識では考えられないことであるなぁと目を見張ってずっと見ているところに、(老僧が)近くに歩み寄って言うことには、
「かたじけなく、小人たちの御使ひを賜ひて候ふ。折節、若者ども、皆違ひ候ひて、御所望むなしくて御帰り候ひぬる、生涯の遺恨候ふよし、老僧の中より申せと候ふなり。」と言ひて、帰りにけり。
「おそれ多くも、児たちの使者を(こちらまで送って)いただいてございます。ちょうど今、(遊泳術を得意とする)若い僧たちが皆、入れ違いに出てございまして、(児の)御希望がかいなくお帰りでございましたことは、一生残る悔いがございます。という旨を老僧の中から申し上げよということでございます。」と言って、帰っていった。
これに過ぎたる水練の見物やあるべき。目を驚かしたりけり。
これにまさっている泳ぎの達人を見ることはあるであろうか、いやあるまい。目を見張って驚嘆させたことであった。