宇治拾遺物語

【現代語訳】百鬼夜行/1分で分かるあらすじ

このページでは宇治拾遺物語【修行者、百鬼夜行やぎょうに会ふこと/百鬼夜行】の現代語訳(口語訳)を載せていますが、学校で習う現代語訳と異なる場合がありますので、参考程度に見てください。

場人物

修行僧
修行僧
諸国を巡って仏道を修行する僧
百鬼
百鬼
修行僧が、摂津の国の龍泉寺で出会った鬼たち。
馬に乗る人
馬に乗る人
修行僧が、肥後の国の奥の郡で会った馬に乗る人。京都へ行く道を教えてくれる。

『百鬼夜行』が1分で分かるあらすじ

修行僧が、摂津の国へ行った。日が暮れたので、大きくて古いが人の住んでいない龍泉寺という寺で、座って休むことにした。

不動明王を祈るときの呪文を唱えていると、百人ほどが集まってきた。よく見ると、人間ではなく、恐ろしそうな者たちであった。

その内の一人が、修行僧に「時分が座るはずの席なので、今夜はほかの所へおいでなさい」と片手で修行僧をつまみ、軒下に置いた。

夜が明け、辺りを見回すと先ほどの寺はなく、近くを行く人に場所を尋ねると、肥後の国である、という。

修行僧は京都へ行き、この不思議な話をしたそうだ。




原文と現代語訳(口語訳)

今は昔、修行者のありけるが、の国まで行きたりけるに、

今となっては昔のことだが、修行僧がいたが、その人が、津の国(摂津の国。現在の大阪府北部と兵庫県東部)まで行ったところ、

日暮れて、龍泉寺りゅうせんじとて、大きなる寺のりたるが、人もなきありけり。

日が暮れて、龍泉寺という、大きな寺の古ぼけたもので、人も住んでいない寺があった。

これは、人宿らぬ所といへども、その辺りに、また宿るべき所なかりければ、

これは人の宿らない場所であったが、その辺りに宿るべき所もなかったので、

いかがせんと思ひて、おい打ち下ろして、内に入りてゐたり。

どうしようもないと思いつつも、笈(修行僧や山伏が背負う箱)を下ろして中へ入り、座っていた。

不動のじゅを唱へてゐたるに、夜中ばかりにやなりぬらむと思ふうほどに、

不動明王を祈る呪文を唱えていると、夜中ごろになっただろうかと思う頃に、

人々の声あまたして、来る音すなり。

人々の声がたくさんして、(こちらへ)やってくる音がするようである。

見れば、手ごとに火をともして、人、百人ばかり、この堂の内に来集ひたり。

見れば、手に手に火を灯して、百人ほどがこの堂の中に集まってきた。

近くて見れば、目一つ付きたるなど、さまざまなり。

近くで見れば、目が一つ付いているのなど、さまざまである。

人にもあらず、あさましきものどもなりけり。

人間でもなく、驚きあきれるほどのものである。

あるいは、角ひたり。

ある者は、角が生えていた。

かしらもえもいはず恐ろしげなるものどもなり。

頭もなんともいえず恐ろしそうな者たちである。

恐ろしと思へども、すべきやうもなくてゐたれば、各々おのおのみなゐぬ。

恐ろしいと思いながらも、どうしようもなくそこにいると、各自みな座った。

一人ぞまた所もなくて、えゐずして、火をうち振りて、

一人だけ、ほかに場所もなくて、座れないで、火をかざし、

我をつらつらと見て言ふやう、「わがゐるべき座に、新しき不動尊こそゐたまひたれ。

わたし(修行僧)をつくづくと見て言うには、「自分が座るはずの席に、新しい不動尊がお座りになっている。

今夜ばかりは、ほかにおはせ。」とて、片手して我を引き提げて、堂の軒の下に据ゑつ。

今夜ばかりは、ほかの所においでなされ」と、片手でわたし(修行僧)を引き提げて、堂の軒の下に置いた。

さるほどに、「暁になりぬ。」とて、この人々、ののしりて帰りぬ。

そうこうするうちに、「夜明けになった」と、この百鬼夜行は、大声をあげて帰ってしまった。

まことにあさましく恐ろしかりける所かな、

本当に驚くばかりに恐ろしいかった所だなぁ、

とく夜の明けよかし、去なむと思ふに、からうじて夜明けたり。

早く夜が明けてほしい、(ここを)去ろうと思っていると、やっとの事で夜が明けた。

うち見回したれば、ありし寺もなし。

見渡してみると、先ほどあった寺もなくなっている。

はるばるとある野のし方も見えず、人の踏み分けたる道も見えず。

はるばるとした野原で来た方角も見えず、人の踏み分けた道も見えないので、

行くべき方もなければ、あさましと思ひてゐたるほどに、

行くべき先もなく、あきれたことだと思っていると、

まれまれ馬に乗りたる人どもの、人あまた具してで来たり。

たまたま馬に乗っている者どもが、共の者を多く連れて現れた。

いとうれしくて、「ここは、いづくとか申し候ふ」と問へば、

たいそう嬉しくて、「ここは何という所ですか」と問えば、

「などかくは問ひたまふぞ。肥前ひぜんの国ぞかし。」と言へば、

「どうしてそのようなことをお聞きになるのか。肥前(現在の佐賀県・長崎県)の国ですよ」と答えたので、

あさましきわざかなと思ひて、事のやう詳しく言へば、

とんでもないことだと思って、事の次第を言えば、

この馬なる人も、「いと希有けうのことかな。肥前の国にとりても、これは奥の郡なり。

馬に乗った人も、「大変珍しい事です。肥前の国の中でも、ここは奥の郡(中心から遠い国)です。

これは、御館みたちへ参るなり。」と言へば、修行者、喜びて、

わたし(馬に乗った人)は御館(国司の庁舎や領主の居所)へ参るのです」と言うので、修行僧は喜び、

「道も知り候はぬに、さらば、道までも参らむ。」と言ひて行きければ、

「道も知りませんので、それでは、途中まででも参りましょう」と言って行ったら、

これより京へ行くべき道など教へければ、舟尋ねて、京へ上りにけり。

ここから京へ行くに違いない道を教えたら、舟を求めて、京へ上っていった。

さて、人どもに、「かかるあさましきことこそありしか。

さて、人々に、「このように思いがけないことがあったのですよ。

津の国の龍泉寺といふ寺に宿りたりしを、鬼どもの来て、所狭しとて、

津の国の龍泉寺という寺に泊まっていたのを、鬼どもが来て、窮屈だとして、

『新しき不動尊、しばし雨だりにおはしませ。』と言ひて、

『新しい不動尊、しばらく軒下においで下さい』と言って、

かき抱きて、雨だりに突い据ゆと思ひしに、肥前の国の奥の郡にこそゐたりしか。

抱き上げて、軒下に荒々しく置いたと思ったのに、肥前の国の奥の方にある郡にいたのですよ。

かかるあさましきことにこそ遭ひたりしか。」とぞ、京に来て語りけるとぞ。

このような驚き呆れる事にあったのだ」と、京に来て語ったということだ。