このページでは宇治拾遺物語【児のそら寝】の現代語訳(口語訳)を載せていますが、学校で習う現代語訳と異なる場合がありますので、参考程度に見てください。
『児のそら寝』が1分で分かるあらすじ
昔、比叡山の延暦寺に児(幼い子ども)がいた。あるとき、僧たちがぼた餅を作るというのを聞き、寝ずに待つのもみっともないと思い、寝たふりをしていたところ、ぼた餅が出来上がった。
児は、きっと起こしてくれるだろうと待っていたところ、僧が声をかけてくれた。一度で起きるのは体裁が悪いと思い、もう一度起こしてくれるのを待っていたが、声がかからず、むしゃむしゃと食べる音が聞こえてきた。しかたなく、だいぶ時間がたってから「はい」と返事をしたので、僧たちは大笑いした。
原文と現代語訳(口語訳)
今は昔、比叡の山に児ありけり。
今となっては昔のことですが、比叡山の延暦寺に幼い子どもがいました。
僧たち、宵のつれづれに、「いざ、かいもちひ せむ。」と言いけるを、この児、心寄せに聞きけり。
僧たちが、宵の手持ち無沙汰なときに、 「さあ、ぼた餅を作ろう。」と言ったのを、この子どもは、期待することとして聞いていました。
さりとて、し出ださむを待ちて寝ざらむも悪かりなむと思ひて、片方に寄りて、寝たるよしにて、出でくるを待ちけるに、すでにし出だしたるさまにて、ひしめき合ひたり。
そうかといって、出来上がるのを待って寝ずにいるのもよくないだろうと思って、(部屋の)片隅に寄って寝たふりをして出来上がるのを待っていたところ、もう出来上がったようで、(僧たちが)集まり騒ぎ合っていた。
この児、定めておどろかさむずらむと待ちゐたるに、僧の「もの申し候はむ。おどろかせ給へ。」
この子どもは、きっと(僧たちが自分を)起こすだろうと(思って)待ち続けていたところ、僧が「もしもし、目をお覚まし下さい。」
と言ふを、うれしとは思へども、ただ一度にいらへむも、「待ちけるかともぞ思ふ。」
と言うのを、うれしいとは思うけれども、「たった一度で返事をするのも(呼ばれるのを)待っていたと(僧たちが)思うかも。」
とて、今一声呼ばれていらへむと、念じて寝たるほどに、「や、な起こし奉りそ。幼き人は、寝入り給ひにけり。」
と思って、もう一度呼ばれて返事をしようと、我慢して寝ているうちに、「おい、お起こし申し上げるな。幼い人は寝入ってしまわれたよ。」
と言ふ声のしければ、あなわびしと思ひて、今一度起こせかしと思ひ寝に聞けば、
という声がしたので、ああ、困ったと思って、もう一度起こしてくれよと思いながら寝ていて聞くと、
ひしひしと、ただ食ひに食ふ音のしければ、すべなくて、無期の後に、「えい。」といらへたりければ、僧たち笑ふこと限りなし。
(僧たちが餅を)むしゃむしゃと、ただもう盛んに食べる音がしたので、(子どもは)どうしようもなくて、長い時間ののちに 「はい。」と返事をしたので、僧たちが笑うことはこの上ない。